団塊の世代特有だが、小さいころは野球少年だった。狭い路地裏ではゴロ野球(地べたに転がした球を打つ)や三角ベース(ホームベースの他にベースが二つ)に興じた。学校から帰ると近所のガキどもが集まり、毎日のように歓声を上げボールを追い原っぱを駆けめぐった。テレビゲームも塾もない時代である。ガキ大将から洟垂れ小僧まで、ぼろぼろのグラブに数少ないバット、ボールを攻守交替ごとに貸し借りしながら興じるのが無上の娯楽だった。夕日が落ちるまで遊び続けた。我が家に帰り真っ黒な顔や手を洗うころにはもうおなかがぺこぺこ。母が用意してくれた、貧しいけれど温かい夕食が、本当においしかった。転じて今は、野球といっても、したければ少年野球に入るしかないようだ。塾へ通う姿は見かけても、ちびっ子や少年たちが路地裏でキャッチボールする姿はトンと見かけなくなった。都会では公園も空き地も減り、ボール遊びも制限されるようになったこともあるだろう。
チームやスポーツクラブに入らないと、身体を動かせない、スポーツが出来ない。スポーツするよりまず勉強だという環境は、子どもたちにどんな影響を与えているだろうか。公立高校の現役教師から聞いた話だが、進学校ではない同校では、目標の見えない高校生活で、茶髪や繁華街をたむろする生徒が後を立たないという。けれど、と彼は言う。「だからこそスポーツを我々は重要視しました。出来る限り体育系クラブに入るよう指導しています。スポーツで、身体を使うことで、彼らのエネルギーを発散させて竄驍フです。うまい下手ではなく、スポーツを楽しむことを根気よく教えた結果、年々問題行動が減少してきました」なるほど、と思う。人間は走っているとき、ものを考えられないという。夢中で走っているときは脳が休めるというわけだ。運動がストレス解消になるわけがここにある。健全な肉体に健全な精神が宿る・・こんな泥臭いと思えた先人の戒めが、ますますバーチャルな、頭でっかちなこの時代に、意味を持ち始めているようだ。少年たちだけの話ではなく、我々大人も同じことが言えるのではないだろうか。
(S)
|