モハメッド・アリ!

4年ぶりにフランクフルトのブックフェアに行ってきた。出版関係者には周知の、世界で最大規模のブックスの見本市だが、今年は9.11の影響からも完全に脱し、世界中の出版関係社から、VIP、編集者、営業担当者が集い、熱気にあふれていた。言葉は違っても、それぞれのブースに並ぶ本を見れば、各社とも個性を存分に発揮しているのがわかる。いつものことだが、カバー、装丁にビジュアルの力を感じる。それを見るだけでも、編集者として大きなエネルギーが身体にチャージされ元気になる。景気が低迷し、出版社の経営環境が悪化、似たような企画ばかりが書店店頭に並ぶ、日本の現状が情けない!
日本の出展社が集まる日本ブースがあり、毎年多数の出版社が参加しているが、不況のため年々参加社が少なくなってきている。そんな中、日本ブースから飛び出て、単身、インターナショナルなブースに堂々と出展している日本の出版社がかなりあった。中央には知られていない地方の出版社も多い。こうでなくちゃいけない!私は心の中で快哉を叫んだ。世界の中で自社の作品(商品)を堂々と臆することなくプレゼンテイションする。そのためにここまで来ているのだから。

さて、今年はあのマドンナが児童書を書いたというので、ここでも、話題を集めていた。
もうすでに日本の出版社が版権を押さえているので、早晩書店に並ぶことだろう。それにしても、あのマドンナの児童書だ!反面教師として型破りなものか、意外や常識的な内容なものになるのか、編集者として興味はわく。
ところで、なんとモハメッド・アリがプロモーションで会場に姿を見せていた。事前にそれを知らなかった私は狂喜した。父が昔ボクシング(4回戦ボーイ止まりだったそうだが)をやっていた影響で、子どもの頃から父に連れられ後楽園ジムに試合を見に行っていった。今でこそサッカーだが、かつてはボクシングに夢中だった。海老原、原田の日本ボクシング黄金時代、そのころ海外では、ヘビー級(もっとも重量の重いクラス)が絶頂期を迎えていた。ソニー・リストン、フロイド・パターソンといった偉大なチャンピオンをことごとく倒したカシアス・クレイ(後にモハメッド・アリと改名)の登場は、ボクシングをアメリカのスポーツのキングへと祭り上げた。それまでのヘビー級のスタイルを一新させる、華麗なフットワーク(蝶のように舞いと形容された)とコンビネーションパンチのテクニック、速さ、そして、“蜂のように刺す”と形容させられた一瞬のストレート・カウンターパンチ。その頂点はキンシャサ(ザイール)での、フォアマンとの世紀の一戦だった。世界の誰もが、今度という今度は最強フォアマンの強烈なパンチにアリはマットに沈むだろうと予想した。しかし、ロープを背にフォアマンの猛打を交わしに交わし、敵をやがて疲れさせ、そして一瞬の隙を狙い、アリの右ストレートパンチが、それこそ蜂が刺すようにフォアマンのテンプルを痛打、フォアマンは猛牛が倒れるように、マットに沈んだのである。そのカウンターパンチは本当に早かった。衛星中継で見たその場面が今でも脳裏を離れない。このとき、この試合、そしてアリは語り継がれる伝説になった。ベトナム戦争に反対して徴兵を拒否したアリ、リングから離れざるを得なかった日々、パーキンソン病との闘い、そしてオリンピックの最終聖火点火者に選ばれ、アメリカの多様な民族の象徴として名誉回復した晩年、そして今日。モハメッド・アリはアメリカのみならず20世紀のヒーローの一人であったことを疑うものはいないだろう。

四角いリングの記者会見場で、無数のカメラマンのフラッシュ、そして、ファンに囲まれながらも、そのリングの四隅にまで足を運び、病で震える手足をいとわずファイティングポーズを続け、撮影に存分に応じるアリ。そのまなざしは、たとえようもなく優しいものだった。そこには、カシアス・クレイとしてデビューしたころの、あの若々しい黒ヒョウのような姿を想像させるものは何もなかった。老いゆく一人の男に過ぎなかった。あたかも、遠い日群れの若き王だったライオンが、老いて群れから離れ、一人草原で陽射しを浴びながらゆっくりとくつろいでいるようだ。壮絶な戦いの日々の記憶を思い出しているのか、闘いの傷を癒しているのか・・そのまどろみの表情の真実を知る由もない。永遠と続く会場の“アリ!アリ!”の大合唱の中で、私は彼へのエールとともに、一方で遠くを見つめるようなモハメッド・アリの視線に、なお懸命に、カシアス・クレイだったあのころの面影を探していた。
(S)