海老蔵襲名

新之助の海老蔵襲名が決まった。記者会見を見ながら、そう言えばずいぶんと歌舞伎を見ていないことに気づいた。梨園(歌舞伎界)では、名跡を継ぐ御曹司を順調に輩出していて、不況をよそに興行も安泰と聞く。とりわけ襲名披露の興行は松竹にとってもドル箱だから、気がつけば、年中行事のように襲名披露が行われている。お家芸といわれるように、名跡には代々受け継がれた重みがある。中でも、新之助―海老蔵―団十郎と続く成田屋の系譜は歌舞伎界の最高峰の伝統ある大きな名跡。海老蔵襲名すなわち、やがて13代目市川団十郎となることを意味するから、歌舞伎ファンにとっては待ち焦がれた慶事である。

新之助の父、現12代目団十郎が海老蔵を襲名したとき、梨園では新之助、菊之助、辰之助の三之助ブーム真っ盛り、その人気はすさまじかった。私が一番歌舞伎を観ていたのもその頃からで、やがてその海老さまが、12代目団十郎を襲名したころまでが、思えばピークだった。この頃は、上方の片岡孝夫(現在の仁左衛門)と玉三郎の孝玉人気、幸四郎、吉右衛門、勘九郎ら芸達者たちの縦横無尽の活躍、一方で猿之助歌舞伎のあれよあれよの目覚しき頭角。そして、歌右衛門、松録、仁左衛門の大貫禄に、権十郎、延若、富十郎といった渋い脇たち。時代もよかったが、ベテランから中堅、若手までそれはすばらしき顔ぶれだった。至福のときを送れたことを本当に幸運に思うのだ。
今回の、新之助改め市川海老蔵襲名には、私にとって、とりわけ思い入れが大きい出来事である。大河ドラマ「武蔵」の評判は今イチのようだが(私は見てない)、本籍歌舞伎役者としては、これからが本領を発揮すべき時である。新之助が生まれたその日そのときから、やがて海老蔵になり、そして、ついには団十郎となる日を、心待ちにしている。あたかもワインが熟成される気の遠くなるような歳月を待つのと同じように・・オーバーなようだが、歌舞伎ファンとはそういうものである。私もその一人だ。
なぜだろうか。それは早世した11代目市川団十郎(新之助の祖父)への憧憬からである。

11代目は、それほどにすばらしい傑出した歌舞伎界の看板役者だった。生まれたのが少し遅かったせいで、残念ながらその生の舞台を見たことはない。しかし、残されたビデオ、レコードは擦り切れるほどに見、そして聞いた。これぞ「成田屋ぁ〜」と掛け声をかけたくなるほどの、姿、形の美しさ、そして、助六で見せるあの男伊達ぶり、勧進帳の富樫で見せてくれる気品。目をつむると、その光景がありありと浮かぶ。歌舞伎役者は1に声、といわれる。その口跡(声の質)においても11代目は求められるすべてを兼ね備えていたと思う。歯切れのよさ、巧みさ、そして大音声で隅々にまでに通る声量、惚れ惚れするとはこういうことかと思う。残念なことに、その口跡において後を継いだ現12代目には難があった。姿、形、芸の大きさに不満はないが、口跡の悪さがつい11代目と比較して割り引かれてしまう。ファンとしては、残念なことだった。だから、まことに身勝手な話ではあるが、成田屋に男子(新之助)誕生との知らせに、否が応でも期待はつのった。そしてその成長をじっと待ったのである。青年になった新之助は、期待にたがわぬ姿を見せてくれた。多くのファンが指摘するとおり、新之助は11代目に面影がそっくりである。口跡も問題なくいい。何たる幸せなことか。隔世遺伝と世に言う。それをファンは信じ、海老蔵襲名に早くも11代目の再来を重ねてワクワクしているのである。

記者会見では、相変わらずの野生児だった。私生活でも女性週刊誌をにぎわしたりしている。アドレナリンたっぷりの面構え、目に表情に勢いがある。海老蔵になったといっても、まだ、今のままでいい、もっと暴れ馬であっていい。おそらく早くて40ちょっと前くらいに、人生の適度な深さが、芸に味を加えて、程よくなる。襲名を早めようと回りは急ぐに違いないが、13代目団十郎襲名はそのころがいいと思う。ともあれ、来春の襲名の舞台には久々に出かけなくばなるまい。そして、遅くとも20年先までには誕生するであろう13代目襲名には、孫でも連れて行きたいと、思うのである。頼むぞ!海老蔵!
(S)