| 参上!「団塊シニア」 |
春だ。一斉にいろいろなものが動き出す気配が漂う。今年は桜も少し長く楽しませてくれた。会社には新入社員が入ってくる。やはり初々しい。勤め人なら誰にも新入社員だったときが一度はある。私の入社は3月11日だった。その夜、桜どころか雪が舞ったのを覚えている。空を見上げながら、がんばろう、と確かに思った。 同期が4人いた。その会社にはまだ2人残っている。そして、4人とも皆定年に近い年になった。私たちだけではない、「団塊の世代」が大挙して会社を去り、これから続々と新シニア世代となっていく。老いにはまだ遠いが、壮年の輝きには及ばないたそがれの世代・・他人事ではない、私も確実にその群れの一人になる。いっそ「団塊シニア」と呼ぼう。 すべては経済(おカネ)の時代だから、この世のものは市場価値で換算し語られる。団塊シニアは社会現象ではあるが、郷愁の対象ではなく、市場=マーケットとして語られる。消費価値がなければ語られることなく捨てられるし、ただのお邪魔虫だ。ありと認められれば存在にスポットがあたる。さて、どっちだろうか? 一昔前のシニアと違って貯金も年金もない世代だ。けれどビートルズ世代だ。音楽にしろ、趣味にしろ、多少の消費センスはありそうだ。それに団塊の世代はとかく群れたがる。ということはマーケット(集団)を形成しやすい輩たちだ。今はやりの個人主義の世代でもない。学生運動しかり、いつだって社会に一言言いたい、かかわりたいと思ってる連中だ。だとすると、金はなくとも家でじっとはしていない。マーケットとしてはそれなりに有望だろう。ここには少子化は無縁だし、人は心配ないくらいたくさんいる。いや、い過ぎる。 社会に会社に不満を持ちながらも、家庭のためによきサラリーマンをやってきた世代だ。なのに、定年前から不況の波を一番くらった世代だ。役職も取り上げられ、出向、転籍、希望退職、解雇と不遇を一身に受けてきた。でも、気がつけばカネはないが、そんな会社への気兼ね、女房への気兼ね、子どもへの気兼ねはもういらない!そう気づき、開き直ることができたら、こいつは面白いことになるかもしれない。 かって学生運動を起こした血気盛んな世代である。そのDNAは捨てがたい。本音で語り行動できれば、多少の世直しになるのではないか。「戦う新団塊シニア」・・なら、年をとるのもまんざらでもない。これからは「戦う団塊シニア!」参上といきたいものだが、さて!(と、春うらら気味の今日この頃)。 |