オリンピックに愛国心を思う

記録的な猛暑だった日本列島。それにも増して熱かったアテネ。今年の夏は久しぶりに夏らしい夏だった。オリンピックに釘付けになった2週間は日本中が思考停止状態。テレビも新聞も朝から晩までアテネ一色。どの会場でも日本人の応援、日の丸であふれ、家族、親族、応援団はもとより、各局の繰り出すレポーター、タレントの姿もかしましかった。

大騒ぎしているのは日本人ばかりではないとは思うが、遠くアテネまで大挙して繰り出せる経済力は健在のようだ。このときばかりは、愛国心らしきものが一気に高まる。勝った負けたにこだわり、金メダルの数に指を折る。選手も大変だったろう。勝てば官軍。負ければただの人。メダルを期待された選手の心中はつらいものがあったろう。

愛国心、ナショナリズムの高まりは、スポーツの世界ではおおむね純粋なものだが、先のサッカーアジアカップの例もあるように、しばしば政治的な色彩を帯びることもある。この事件では日中の溝が思いのほかに深いことが露呈した。戦争、侵略を体験した世代とは異なる若い世代が反日を叫び、騒然となった。天安門事件以降、日本という仮想敵国を際立たせることで、矛盾を抱える共産党政権への批判をかわそうとする中国政府の政治的意図がその背景にある。お隣韓国もナショナリズムの急激な高まりを見せている。

日本統治下の時代の日本への協力者を、半世紀以上たった今、売国者として徹底糾弾するという。ノムヒョン大統領、支持母体与党ウリ党がそう表明した。そのウリ党の党首が自らの父が日本人憲兵であったことを公表自己批判し、党首を辞す騒ぎもあった。運動を支持し熱狂するのは、やはり戦争を知らない若い世代である。

アジアだけではない。大国アメリカもブッシュ共和党政権下で一国主義に突っ走ってはばからない。対立候補のケリーは、強いアメリカを目指すが同時に世界からは尊敬されるアメリカを目指すという立場だが、ブッシュは内にも外にも強いアメリカ、間違っても国連の指揮下には入らないと、ますます強気である。それが、アメリカ国民の自尊心をくすぐる。ブッシュかケリーか、大統領選挙はどうなるか分からぬが、アメリカの一国主義へのこだわりは当面変わらない。世界はナショナリズムの色彩を強めている。

翻ってわがニッポンのナショナリズムはどうであろう。自衛隊イラク派遣是非の世論はとうに沈静化し、核問題、竹島問題、北方領土などへの関心も薄い。アメリカとの同盟関係に平和を担保し、99%疑いのない安心の日々をむさぼっている。中国、韓国の若者たちと同じ世代の日本の若者の国家観、ナショナリズム認識は彼らと比べるべくもない。

今年の夏、私は印象に残るドキュメンタリー(NHK)を見た。ゼロ戦の特攻隊員の記録である。死を覚悟した彼らが家族に宛てた肉声の記録に胸を打たれた。多くの若者がお国のためと信じて死んでいったことがよく分かった。終戦になり、いかに当てのない戦争だったか、政府、軍部の無能無責任がいかに甚大な犠牲と悲惨な結末を招いたかが判明するのだが、当然、生き残った特攻の戦士たちは、インタビューの中で戦友を死に追いやった時代、軍部を批判した。ところが突然その内の一人が、「軍部を批判することで彼らの死を惜しむのは、世の中の人と同じやないか」と憤然と仲間の発言に噛み付いた。「彼らはただだまされて死んでいったかわいそうな人やない。その時は一人一人が日本というお国のため、同胞家族のためにと心底思って死んでいった。その思いこそ日本人の魂そのものや。評論家のように、間違った指導者のために死んで気の毒じゃった、と後から周りが哀れんで言うのは、彼らのその時の純粋な気持ちを侮辱しているのと同じだ」といい、老体を振るわせたのだった。他の特攻隊員たちは狼狽したが、私はその発言が胸に刺さった。

愛国心、ナショナリズムについて、平和ボケの我々は表層の言葉しか持たない。一億国民も政治家も経済人も、学者も、文化人も、皆評論家のように、同じような言葉を吐くばかり。我々は皆、時代、歴史をただ傍観しているだけではないのだろうか。時代を批判するのはたやすいが、時代の真っ只中では多くの人間は夢中で生きるのみなのである。後世に明らかになる歴史的な判断も、今一瞬の渦中では誰にもその是非も因果も分からないのである。

特攻隊員たちは確かにその時、純粋にお国のために身を投じたのだ。国家の政治体制が何であれ、その純粋に国を家族を思う一個人の気持ちこそ、愛国心なのだと私は思う。歴史の気まぐれで奇跡的に生き残り、そしてその後の長い戦後を生き、日本の変わり様を見てきたこの老人は、そこを看破しているのだ。その言葉には戦前の悪しき愛国心の復活とは言えぬ、凛とした響きがあった。

愛国心とは何か、我々の守るべき愛すべき国とは一体何か・・日本人に問われたこんな問いに、今、果たして我々は答えることができるだろうか。オリンピックのニッポン、ニッポンの大合唱の画面を見ながら、私は思いを募らせた。
(S)