| 頂点へ!佐藤琢磨 |
| F1がとうとう中国を走った。9月26日に行われたF1上海グランプリは歴史的な出来事となった。上海の「上」の字をトレースしたようなコースレイアウト。ゴール前の直線走路の上に掛けられた2つの橋状の建造物(実際はプレスセンターやレストランスペースがそこに内包されているらしい)。コース設計、スタンドも含めて極めて独創的であり、スケールがでかい。躍進する中国経済を牽引する上海の恐るべき成長力を目の当たりにし、見る者すべてが度肝を抜かれた。おそらくほとんどが初めてF1を見る観客だろうが、高額チケットにもかかわらず、テスト走行、予選、本選と、いずれも超満員だった。
興奮していたのはF1を初めて見た観客だけではなかった。レース主催者、車メーカー、タイヤメーカー、プレス、関係者の誰もが中国という未開の市場に、確実な未来を感じ、興奮を禁じえなかった。ドライバーにもその興奮は伝染した。今期ぶっちぎりのナンバーワン、M・シューマッハーが、予選でまさかのスピン、本選でも直前にエンジンを換え、なんと最後尾グリッド発進のサプライズ。そして、レースでも、またもや見たことのないようなスピン、さらにはパンクと、今期の走りからは想像もできないトラブルを連発。歴史的な上海でのレースに、さすがの王者も尋常ならざる精神状態に陥ったのでなかったのか。だとしたら、シューマッハーも人の子だったと言えるのだが。 F1の魅力、それは見る(観る)ことと同時に、聞く(聴く)ことにある。F1にずっと興味はあったのに、テレビで見るばかりだったが私がそれに気づかされたのは、ナマのF1を見てからだ(いや正確には聴いてからだというのが正しい)。場所はサンマリノグランプリ。つかの間の仕事のオフを利用して、公式予選2日目にボクは鉄道でイモラサーキットのある町の小さな駅に着いた。改札を出た瞬間だった。“それ”は突然にやってきた。未だかつて聞いたことのない、ジェット機が頭上を走り抜けるような激しい“(爆)音”が私を襲ったのだ。サーキットまで、徒歩で約15分の距離なのに、すでにその駅、町を包んだ金属音こそ、F1マシーンから発せられた音だったのである。とても車のエンジン音とは思えない。これがF1なんだ。見る前に私はこれまで知らなかった世界に身震いした。なぜ人はF1に魅せられるのか、この瞬間にその答えを五感が認識した(私がロック好きというのを割り引いたとしても)。もちろんコースも、車も素晴らしかった。イタリアはフェラーリの聖地である。フェラーリの赤がスタンドを埋め尽くした。大人も子どももみんなF1を心から愛し楽しんでいるのが分かった。 ちょうどその年は、佐藤琢磨のF1デビューの年だった。実力の片鱗を見せたとはいえ、車に恵まれず、とても上位を狙える位置のドライバーではなかった。案の定、翌年にはシートを失い、テストドライバーに降格した。しかし、その佐藤琢磨が今期はBARホンダの第2ドライバーとして復活。大幅にパワーアップしたホンダエンジンの元、アメリカグランプリで3位。他のレースでも着実にポイントを稼げるまでに成長した。上海グランプリでは予選でエンジンが壊れるというトラブルのため、シューマッハーの一つ前、絶望的な18番グリッドスタートながら、最終的には6位に食い込み、僚友バトン(2位)とともに、BARのコンストラクターズポイント2位死守に貢献した。早大中退、元自転車ロード選手、単身渡英、英国F3チャンピオンからのF1シート獲得と、これまでの日本人レーサーとは違うプロセスを踏んだ佐藤琢磨は、日本が生んだ、いやアジアが生んだ現在最高のF1レーサーの一人といえるだろう。 F1がドライバーの力を超え、車体の技術進化での優劣を競う傾向が強くなった昨今、佐藤琢磨は、その野性的でアグレッシブな走りで、私たちを興奮させる。さあ、いよいよ鈴鹿(日本グランプリ)。王者フェラーリ勢の背も見えてきた。世界のタクマへ。“奇跡”を信じるのは、もはや私一人ではないだろう。 |