人類の未来といまそこにある危機

土星の衛星タイタンに土星探査機カッシーニから切り離された探査機ホイヘンスが着陸し画像が送られてきた。火星探査に続きこの手のプロジェクトが見事な成功を収めているのは、科学者たちの努力と飽くなき探究心の賜物である。心から敬意を表したい。物理学、天文学、あらゆる工学の最先端の知が結集し、国境を超えた国家の支援があって、初めてプロジェクトが現実のものとなる。もちろん、そのウラには国家の野望もあるだろうが、科学者たちの現場は、真理の追究で常に結束した。そのおかげで、我々は居ながらにして、人類の新しい発見に遭遇でき彼らと興奮を分かち合えるのだ。

まったくの文系だった私が、ここ数年、ふとしたきっかけで現代物理の最先端を行く量子論に出合い、にわか理系になってしまった。自分の身体も、目の前のデスクも、窓の外に見える木々も、夜空の星も、(ダークエネルギー、暗黒物質という未知のものを除いて)この世界のものはすべて同じミクロの量子でできていると知って、私は「存在」というものに再認識をうながされた(しかも量子は驚くべきふるまいと性質を持っているのだ。今、量子論が宇宙の成り立ちそのものへの探査に大きな成果を上げている)。生きている自分は、やがてエネルギーが尽き死を迎えるが、火葬された後の自分の多くは炭素物質としてこの地球に残る。燃焼と同時に蒸発する水素等にもなって大気に放出され地球大気の一部となる。物理学の原則であるエネルギー保存の法則により、形は変わっても私の身体は決して無にはならず何かに転換して存在し続けるのである。つまり自分は物質へ(この宇宙にあるすべてを構成するものの一つへ)転換したのだ。

やがて50億年もすると、太陽は寿命を迎え燃え尽きるが、地球も同時に太陽にのみ込まれ燃えつきてしまう。私の屍もあなたも何もかもが燃えつき、塵のごとくの星間物質となり宇宙に漂う。運がよければやがてその塵が集まり長い年月をかけて星の一つとなり、また、さらに運がよければ、新たな太陽をいただく星となり、程よい太陽エネルギーを受ける距離に位置すれば、原始地球と同じプロセスを踏み、やがて有機物が生まれ、進化し、そして、優秀な知能を持つ生物の持ち主の一部として再生できるかも知れないのである。
この奇跡のシナリオを信ずるほど愚かではないが、我々が生きている意味、そして死というものを、ちょっと大きな観点で考えてみるきっかけにはなるだろう。私たちはこの宇宙ではまったくありふれた物質でもあるのだ。太陽自体は10億年後には地球に生物が生きていられぬほどに膨らみ高温になる。気の遠くなるほどの先の話ではあるが、危機を避けるために、人類の多くは地球外の星へ移住するだろう。決してSFではない。彗星などの大型の物体の軌道を修正させて、地球のそばを何度もかすめさせて、その斥力で地球の軌道を徐々に温度の上がった太陽から遠ざけようというアイディアを提唱する科学者もいる、もちろん現実的とはいえない提案だが。

 もっとも、そんな10億年先まで、人類が変わらず存在できるのかということのほうが、焦眉の話に違いない。地球温暖化にしろ、急激な人口増にしろ、人類と地球環境の共存のバランスが急激に崩れつつあるのが現実なのである。21世紀は地球創生以来初めてという、すさまじいスピードで環境が破壊される世紀となる。環境の激変は人類の生命基盤を根底から脅かす。土星にまで探査機を送る頭脳を持った人類という生命体は、一方でこの地球の破壊者でもあるのだ。憂うべきは「今そこにある危機」なのである。カール・セーガンの遺稿となった近著「百億の星と千億の生命」(新潮社)では、その危機が克明に明らかにされていて考えさせられる。ご一読をおすすめしたい。
(S)