海老原博幸というボクサーが好きだった。
昭和40年、フライ級の世界チャンプになった。サウスポーから繰り出すストレートは速く美しく「カミソリパンチ」と形容された。バンタム級のファイティング原田、フェザー級の関光憲らと共にボクシング界の黄金時代を築いた。当時私は大学生だった。アルバイト先を抜け出し、芝浦の海岸の桟橋でトランジスタラジオのイヤホンを耳に当て、遠く海の向こう、ロサンゼルスで行われていた海老原VSアラクラン・トーレスの世界戦を、固唾を呑んで聴いたことを思い出す。ラジオでもまれな海外からの実況中継だった。ロサンゼルスは地球の裏側。電波の状態が悪く、音声が波打ち、時として途切れ途切れになった。「海老原、左ストレート!ダウンだダウンだ、トーレス立てない、勝った、勝った、
海老原勝った!」アナウンサーの絶叫が、前畑ガンバレ!のように届いた。海老原勝った!その瞬間、私は握ったこぶしを天にあげ震わせた。胸の中心あたりで熱いものがはじけた!
(以前このコラムでも書いたが)父の影響で、子どもの頃からボクシングが大好きだった。後楽園ジムには何度も行った。額が切れ鮮血が飛び散る。鼻血が吹き出し、トランクス、リングがみるみる赤く染まる。餅のように大きくふくれ上がったこぶで両目が塞がった選手たち。そんな光景をいつも見た。子ども心にここは真剣勝負の場なんだということが分かった。ボクサーの身体は鍛えに鍛えられ、ムダがなく彫刻のように美しかった。
なぜ、父は子どもの私にボクシングを見せたのだろうか。何かを教えたかったのだろうか。父がこよなくボクシングを愛していた理由に、父も4回戦ボーイ止まりではあったがボクシングの選手をしていたからだと、やがて知った。でも、僕等息子たちにボクサーになれとは言わなかった。後楽園ジムでは、いろんな人から「先生!お元気ですか」と挨拶されていた。父は法務省の矯正関係の仕事をしており、「刑務所にいた人たちだよ」と後で教えてくれたりしたものだ。その人たちはみな礼儀正しく、子どもの私にはとても悪い人のようには見えなかった。昭和30年代。まだボクシング会場には、昨今流行のド派手にキラめく格闘技のショーと異なり、ストイックなまでに凛とした雰囲気が宿っていた。
クリント・イーストウッドの話題作「ミリオンダラー・ベイビー」に描かれたボクシングジム、そこに描かれた光景は、そんな子どもの頃の記憶と重なって見えた。映画は、名もない老トレーナーとしてジムを経営するクリント・イーストウッドの前に、一人のボクサー志願の女(ヒラリー・スワンク)が現れるところから始まる。初めは受け入れを拒否する彼だったが、彼女のひたむきさに折れて指導を決意する。やがて忘れていた何かが彼の中ではじける。二人三脚で夢に向かって走り出すふたり。そしてついにチャンプをめざすまでを描くが、最後に悲しい受け入れがたい結末が訪れる。
人生のほろ苦さを誇張のない演出で描いた秀作だ。この作品で2度目のアカデミー主演女優賞に輝いたヒラリー・スワンクがいい。彼女を起用した監督クリント・イーストウッドのキャスティングはさすがだ。しかし、何といってもこの映画は俳優クリント・イーストウッドに尽きるだろう。演技を超えた演技、とはこのことを言うのだろうか。ただそこにいるだけですべてを現していた。
セリフにもあったが、ボクシングジムの壁に描かれていた「tough ain't enough」(タフなだけじゃ十分じゃない)という言葉が、心に残った。
「リングの上では、ただ力任せのボクシングじゃダメだ。まず、自分を守れ。そしてしっかり相手の出方を見るんだ。ボクシングは駆け引きだ。頭を使え、技術を磨くんだ」こんな教えだが、リングの下では登場する主人公たちは皆、リングの上の教えのように器用には人生を生きてはこれなかった。随所に暗示されるクリント・イーストウッドの深い孤独、葛藤。チャンプを夢見るヒラリーの悲しい生い立ち。ジムに集まる面々に付きまとう複雑な人生を見るにつけ、「tough ain't enough」は、この映画が語りたかったもう一つの主題だったのだと私は確信した。「タフなだけじゃ生きていけない」その言葉は、映画を見る一人一人への、人生を生きるメッセージでもあるだろう。
(S)
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