初めての入院体験

 転倒して左手首を骨折してしまった。時節柄、松井と同じ箇所をやっちゃいましてと言うと、ああ、それは大変ですねと、ありがたいことに、皆さんに同情していただける(松井選手にカンシャ・・?)。
バレーボール、野球、スキーと、若い頃はスポーツ三昧だったが怪我とは無縁だった。ショートを守っていて盗塁した選手と二塁ベース上で交錯し、左足かかとをスパイクされたのが唯一の怪我だったが、単なる打撲ですんだからオレの骨は頑丈に出来てるんだと思っていた。が、切開した上、砕けた骨片を除去し、プレートを渡してボルト3本で骨折箇所を固定するというひどい骨折にみまわれてしまった。

  手術はもとより、入院するのも初めての経験である。全身麻酔されたとき、1、2、3と数えるうちに意識を失うと聞いていたが、全身麻酔の点滴が入った瞬間、頭にずんと衝撃が走り、かっと花が咲いたかに思えた瞬間から何も覚えていない。数を数えるなんて余裕もなく、あっという間に眠ってしまった。眠っている間はいわゆる深いレム睡眠状態、まったく夢のかけらも見ない。手術が終わり麻酔から醒め、終わりましたよ、分かりますか、と名前を呼ばれ、声をかけられるまで、その間「無・・」の時間である。死というのも、結局はあのように一切何もない状態なのだろうと、妙に得心してしまったのである。

 入院のベッドで、隣のおじいさんと仲良くなった。その方は血栓の術後が良くなく、血管から漏れた血液で左腕が紫にパンパンに腫れていた。見るからに辛そうなのに、自分はさておき、手術直後の出血とひどい腫れと痛みでげっそりしているワタシを、ずいぶんと元気づけてくれた。病気の時の何よりのプレゼントは、人の優しさである。入院して、患者側の気持ちがよく分かった。同時に、医療に関わる人たち、中でも患者が一番頼りにする看護士さんたちも、良く気付いてくれる人、頼みごとをたびたびに忘れてくれる人、つまりは、私たち人間社会と同じように様々であることを実感した。でもそれを愚痴っても仕方がない。結局は、病に伏せた時には、患者自身が強い気持ちを持って、自らの力で自分を何とかしないとダメなんだな、と言うのが得た教訓。
全く動かない左手首左腕。使えるのは右手一本。さて歯ブラシにどう歯磨きを乗せるか。洗面台に置いた歯ブラシはじっとしていてない。チューブから出る歯磨き粉を避けるように、ころっと横倒しになる。誰かに手助けしてもらいたい、けれど、いつも誰かがそばにいるとは限らない。やがて、歯ブラシを口にくわえて、右手でチューブを使えばいいんだと気付く。

たぶん、やがて来る「老い」と「介護」の時は、こんな不便の連続だろう。誰も手助けしてくれないと思えばストレスでいっぱいになる。しかし、ぎりぎり、何でも自分で試みて見ようという気持ちがあれば、すべて出来なくとも、少しは不自由さゆえの、ストレスや厭世観を和らげてくれるかもしれない。
家族、親族であっても、結局は自分を共有できない他人、そういうものだと思えば、他人への過剰な期待を捨てることができ、自分で自分に立ち向かうしかないと気付く。ぎりぎりまで、自分で頑張れるおじいさんになろう。病いや、やがて来る「老い」に立ちかう覚悟を、ちょっぴりだが体験できた。

プチ入院で、そんなことを、思ってしまった、この頃である。(S)