10月の声を聞く。会社のビル一階のエンタランス横のプランターには季節の花々がいつもにぎわっているが、それが可憐なコスモスになった。秋、なのだ。風に揺られながら、ひょろっと頼りない茎の上に鮮やかな色とりどりの花弁の帽子をのせているその姿に、思わず立ち止まってしまった。大好きな花、なのだ。
「春なのにコスモスみたい」という広告コピーがあった。覚えている方、いらっしゃるかな?資生堂の春のキャンペーンの広告コピーだったと記憶している。それより昔のこと、老舗婦人誌の新人記者だった頃に、「コスモス、咲いた」というタイトルで手芸の企画案を出したことがあった。すると、当時雲の上の存在であった名物編集長が「あら、可愛いタイトルじゃない。こんな企画、うちの雑誌にあってもいいわね」と、編集会議で褒めてくれたことがあった。めったに褒められなかったからそれだけは良く記憶している。「5分でできる100円おかず」なんてのを売り物にしていたコテコテの生活実用誌だったから、いいわね、と言われた私は、居並ぶ諸先輩たちの前で、ただただ当惑するばかりだった。コスモスを見ていて、そんな昔を思い出した。
そういえば・・ 私の人生と社運を賭けた雑誌が創刊されたのが14年前の10月半ばだった。その日、恐る恐る売れ行きを確かめに書店訪問に行ったとき、下町(北綾瀬)の書店さんの傍らの空き地に群生していたのが、それは見事なコスモスだった。
コスモスにはいろんな思い出が詰っている。
それにしても・・寂しい。
コスモスが咲いたのに、ステキな老人が一人、この町から去った。「西神田エリカ」の店主会沢さんが9月22日に帰らぬ人となったのだ。
「エリカ」は、55年もこの町でおいしい珈琲を入れつづけた老舗喫茶店だ。会沢さんは名物店主として、いつもカウンターの中で飄々と仕事をこなしていた。白いシャツに黒の蝶ネクタイ姿。店内には、ユトリロなどの名画がさりげなく飾られ、いつも、神保町、西神田界隈のお馴染みさんや、ふらりと雑誌や女性誌を見て訪ねてくる人たちの、憩いの場となっていた。今では珍しい珈琲の出前もしてくれた。
店の常連のご子息が結婚された時のこと。帝国ホテルの大会場で、会場いっぱいに響き渡る大音声で、会沢さんがそれは見事な詩吟を披露した。そのとき初めて、会沢さんが日本でも有名な詩吟の名手であることを知った。また、80過ぎても、皇居の周りをジョギングするなど、健脚も健在だったし気持ちも若く清々しかった。今年に入り、カウンターを従業員に任せて、店の片隅で休んでおられる光景をたびたび目にして、気になっていたが・・悲しい知らせを受け取ることになってしまった。
「エリカ」は会沢さんそのものだった。主を失って、当分休業を知らせる張り紙が今も取れない。それが寂しい。会沢さん、お疲れ様、本当に長い間ありがとうございました。どうかゆっくりお休み下さい。みんな、マスターのこと、忘れません。
店の上が住居。会沢さんの遺影の前に、「エリカ」という集う場所を失った馴染みの人々が、居場所を探すように毎日訪れ、思い出話に泣いている。(S)
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